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秋田家庭裁判所大館支部 昭和35年(家)243号 審判 1961年1月31日

申立人 白川与三郎

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人は、申立人の名与三郎とあるのを三郎と変更することを許可する、との審判を求め、事件の実情は、申立人が出生した際、父親は申立人が三男として出生したので三郎と命名したのであるが、出生届出をなすため所轄役場に行つたところ当時の係員から女を入れると四番目の子だから与三郎と名付けた方が良いのではないかと言われたため父親は不本意ながら与三郎と名付けて届出た。しかし、申立人の戸籍上の名は与三郎であつても家庭内では最初に名付けることにした三郎を称呼し、一般人も三郎と呼び慣らしていたのである、申立人としても成人するに従い総ての書面等は皆三郎名儀で往復し、特に昭和七年より満洲において兵役に服し、現地で召集解除を受けた後も昭和二十年五月帰還する迄引続き現地で就職していたが与三郎名儀にはしばしば手違いを生じ迷惑したことが再三に亘り、更に内地に帰還後も電報等の行き違いから父親の死に目にも逢えなかつた有様であつた。申立人には母親が生存しているので再び右のような行き違いを生じては遺憾に堪えないのでこのような不便を除くため申立人の名を幼名の通り三郎と変更したく、その許可を求めるため本件申立に及んだ、というにあつて、申立人審問の結果、本籍秋田県北秋田郡阿仁町荒瀬字段の上八十番地筆頭者白川与三郎戸籍抄本及び手紙の封筒四通(差出人鈴木松治、白川貴久雄、白川文雄、白川好光、名宛人は何れも白川三郎)によれば、申立人は現在秋田県鷹巣保健所に勤務する地方公務員であるが、父助松の三男として出生したので出生の際父は三郎と名付け、役場へ出生届出に行つたところ、戸籍係から、女を入れると四番目の子だから与三郎がよかろう、と言われたため父はそれでもよかろうということで与三郎として出生届出を済ませた。しかし、父母は幼時から申立人を三郎と呼んできたので従兄弟その他の親戚の人達も申立人を三郎と呼んでいるが、申立人が小学校に在学中は名簿にも与三郎と登載され、教師もまた申立人を与三郎と呼んでいた。尤も同級生達は申立人を大抵三郎と呼んでいた。長じて、兵役に服するようになつてからは申立人は兵役関係では戸籍名である与三郎で通用していたが、戦時中満洲に在つた当時父危篤の電報を受けた際名宛人が三郎であつたため上官から名前が違うから人違いではないかと言われて電報を打ち直してもらつたりして休暇を貰うのが遅れ、父の死に目に会えなかつた。しかし、申立人が手紙を出すときには戸籍名与三郎を用い、ただ親兄弟や小学校時代の同級生から申立人に来る手紙には三郎なる名が使われている、という事実を認めることができる。

ところで、名は本来個人を表象する記号であり、氏と相俟つて個人の同一性認識を可能ならしめる手段たる機能を有するものである。即ち、個人はそれによつて自己を表示し社会をして自己の同一性を認識せしめるとともに、他方社会はそれによつて当該個人の同一性を認識しうるのである。そして、個人に或名が付けられそれが長い間使用されると、当該個人とその名との結びつきが固定し、その名が当該個人の名として社会的に一般に通用するに至るのである。即ち、当該個人についてはその名が社会的通用性を具有することになるのである。しかるに、或個人を表象する或特定の名が社会的に一般的に通用している場合において、その名を変更して新たな名を称することは、旧名と当該個人との結びつきが既に固定しているのに対し、新たな名と当該個人との結びつきは稀薄であるために、当該個人が新たな名によつて自己を表示し、社会をして自己の同一性を認識せしめようとしても、社会は既に旧名によつて当該個人の同一性を認識してきているために新たな名によつて当該個人の同一性を認識することは困難であり、かように当該個人の側と社会の側との間の喰い違いにより名が本来果すべき個人の同一性認識の機能が障害を蒙り、社会に対しても不利益を与えることになるのである。それ故、名は本人の父、母又はこれに準ずる者によつて、何れにしても私人によつて付けられ、名に対する権利は個人の私権即ち人格権に属するものであるが、一旦付けられた名の変更については、右のような不都合を避けるためこれを個人の自由に委せずただ正当な事由がある場合に限り許すことにしているのである。戸籍法第百七条第二項の趣旨を右のように解すると、同条項に所謂正当な事由に該当する場合は大凡次の二つに分けることができよう。第一は、現在の名に、名が本来有する個人の同一性認識という機能の障害があるため社会生活上支障がある場合であり、第二は現在の名に機能上の障害はないが、個人の社会生活上の身分、地位の変動があつたためそれに相応した名に変えることによる利益が大きいとか、又は本人に対して現在の名を維持することを強制するのが社会通念に照らして甚だ酷であると認められる等の場合である。

そこで申立人の名の変更について正当事由があるかどうかを考えてみると、本件の実情となつている事実が正当事由のうち前記第二の場合に該当するものとは認められず、申立人の主張するところも亦前記第一の場合に関するものと解せられるから果して右の意味における正当事由に該当するか否かについて判断する。先ず、前記認定事実によれば申立人が生れた際申立人の父助松は名を三郎と名付けることにしたが届出に当り所轄役場係員の勧めに従つて当初予定した三郎なる名を与三郎と改めた上届出を済ませたのであるから、届出に至る経緯はともかくとして申立人の戸籍上の名である与三郎は命名権者たる父によつて適法に名付けられたものということができる。しかるに、申立人は幼時より、その両親を始め従兄弟その他の親戚の人達のみならず小学校時代の同級生の多くによつて、与三郎ではなく出生の際に名付けることにしたが結局は届出するに至らなかつた三郎なる名で呼ばれ、右の者達の間では三郎なる名が申立人の名として通用しているのである。ところで、申立人の生活関係は小学校在学当時迄は家庭を中心とする生活及び学校を中心とする生活が主たるものであつたと考えられるから、当時においては申立人の生活関係の主要な部分において三郎なる名が申立人の同一認識の手段としての機能を果し、戸籍上の名である与三郎なる名は申立人の名としての充分な機能を果していなかつたということができるであろうから、当時の段階においては申立人の戸籍上の名を所謂通名に属する三郎なる名に変更する事由があるとみるべき余地もあつたであろうが、小学校卒業後社会に出てからは兵役関係を始め、その後の職業関係を中心とする一般社会生活関係において戸籍名である与三郎なる名が用いられてきたのであるから、現在においては社会生活関係の主要な部分でしかも社会に出て以来長期間に亘つて戸籍名である与三郎なる名が申立人の同一性認識の手段としての機能を果しており、三郎なる名は単に申立人の親族関係及び曽ての小学校時代の同級生といつた局限された生活関係においてのみ申立人の名としての機能を果しているに過ぎないから名としての機能は前者に比較して却つて不十分であると云わねばならない。しかも「与三郎」という名それ自体には名としての機能を果す上での障害となるような点も見当らないから結局、申立人の戸籍上の名については、名が本来有する個人の同一認識の手段たる機能の障害があつて社会生活上支障があるとは認められないのである。申立人は、生存している母や兄弟からの通信について将来手違いの生ずることを憂慮する旨主張しているが、かような狭い親族間においては、戸籍上の名を周知徹底せしめることによつてそのような不都合をなくすることは決して不可能ではないのであるから、申立人としては親族等との間にある申立人の呼称上の喰い違いを取除く措置を講じるべきであつて、それを理由として一般社会生活上の利益を犠牲にすることは許されないのである。

よつて、申立人の本件申立は理由がないからこれを却下することとし主文のとおり審判する。

(家事審判官 山田忠治)

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